年賀状と寒中見舞い

1月下旬、暖冬からうってかわって厳冬になった頃、寒中見舞いを少しいただきました。もともと、寒中見舞いとは、旧年中に年賀欠礼(喪中告知)をいただいたら、その返礼として送るものだと思っていました。しかし、喪中告知をいただかず、年賀状も来なかった方から、おわびと喪中であったということを伝えてこられる場合や、そもそも正月が過ぎて年賀状を出す時機を失したために、寒中見舞いとして出される場合もあるとのことです。

 マナーについて見てみたら、ご不幸が年末で、喪中告知を出せないまま年賀状をいただき、寒中見舞いとして返信することは、失礼にはあたらない、さらに喪中告知を受け取ったら年賀状をその方に送ってはいけない、ということでもないということも知りました。年賀欠礼をだすとき、年賀状はどうぞ送ってくださいと書けばいいという話もありました。実際、ある偉い先生からいただいた年賀欠礼で、そうした添え書きがありましたが、偉い先生だからできることかもしれません。私の仕事の世界では、世間一般の意識からずれたことは、なかなかしづらいものです。  

年賀欠礼を出してその年の年賀状をいただかなかった場合、次年度にこちらから年賀状を出したら、転居されていて返送されたことがあります。最近は転居通知を出されず、年賀状に記載される場合が多いのですが、1年間は転送されてもそれ以上はされません。葉書のやり取りはあったほうがいいのですが、年賀欠礼の返信としての寒中見舞いは、ほとんどみなくなりました。  

今回いただいた旧友の寒中見舞いを見ると、喪中でなくても年賀状を出される気になれなかったのでは、と何となくわかるものもあります。ご家庭の逆境(たとえばリストラ、子供さんの不登校のような)があったら、たとえ旧年中の報告としても、年賀状で書いていいのか、と思われてもおかしくありません。私にできることがあるわけではないのですが、少しでもいいことがあるように、願わずにはいられません。  

私は今回、年賀状で、あまりめでたくないことも少し書きました。すると親から、そんなことを書くものではないと、たしなめられました。親不孝ですね。しかし年賀状で、“ありのままの”ことを書けず、通り一遍のことだけ書き、楽しい写真しか載せられないのでしょうか。だからといって、年賀状を出さず寒中見舞いで代用するのもどうかと思い、思案しています。  

皆様は年賀状を書かれていますか。別に郵便局の肩を持つわけではないのですが、ふだん音信がない昔のお友達にでも、年に一度はおたよりを出すことは、いいことだと思っています。そしてこれを読んで下さった皆様にとって、今年がいい年になるよう、願っています。